KANSEN Journal No.54(2015.3.26)
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理系のための手指衛生講座(その 1)


奈良県立医科大学感染症センター

笠原 敬

 


 

 

はじめに

 昨今「リケジョ」なる「理系女子」という言葉がブームになりましたが、同様に「理系男子」も存在します。往々にして男子であれ女子であれ、「理系」の人は細かいことにこだわり、「こいつ、超めんどくせぇ!」と愛想を尽かされがちです[1]。筆者は自分が特に理系男子だとは思わないのですが、それでも年を取るにつれ、細かいことが気になり、こだわるようになってきました。それではいけないとは思うのですが、一方で年を取ると「私はこういう人間なんですごめんなさい」という自己正当化が進行してきます。細かくて、間違いを認めようとしない。聞いただけで関わりたくない感じですね。
 さて、そんなわけで今回のKansen Journalでは感染対策の基本である手指衛生について少し変わった切り口で解説を試みたいと思います。


ハェアンド、ラビンッ

 理系男子はすぐに「定義」を確認しようとします。「君ぃ、今、肺炎って言ったよね。君は何をもってその人が肺炎って言ってるんだい?」こんな具合です。第一印象最悪ですよね。同じような感じで、「君ぃ、今、手洗いって言ったよね。手洗いってどういう行為のことを手洗いって定義するの?」という風になるわけですが、まず良い印象は与えないので、間違っても真似しないほうがよいと思います。
 さて、一般的に「流水と石けん」を用いて手洗いを行うことを「手洗い hand washing」と呼びます。また、アルコール(正確には擦式アルコール手指消毒薬 alcohol-based hand rub)を用いる場合は、英語では“Hand rubbing”と呼びます。残念ながらこれに対応する適切な日本語はありません。あえて訳するなら「手指擦式」とでもなるのでしょうか。日本語では「手指消毒」という言葉が用いられることもありますが、これに対応する英語である”hand disinfection”は、WHOの手指衛生ガイドラインでは「曖昧な用語である」として使用しないとされています[2]。うーん、さすがWHO、理系ですね!
 以上、流水と石けんを用いたhand washingと擦式アルコール手指消毒薬を用いたhand rubbingをあわせて「手指衛生 hand hygiene」と呼びます。私たちにきわめて身近なこれらの用語ですら、日本語で正確に表現するのは難しいのです。かといってアルコールを用いた手指衛生のことを「ハェアンド、ラビンッ」とか言ってると、徐々に誰も近づかなくなってしまうので、理系男子としてはどこで落としどころをつけるか、悩ましいところです。


あなた、いま手首が抜けましたよ

 手指衛生の手順、皆さんどうしていますか? 大勢の前で「やってみてください」と言われて自信をもってやれる人は少ないのではないでしょうか? WHOは次のような手指衛生の手順を提唱しています(http://www.who.int/gpsc/5may/How_To_HandRub_Poster.pdf)。手指衛生のことをよく勉強し、注意深い人はこのポスターをみて、「あれ?」とあることに気付くのではないでしょうか?
 そう、手順の中に「手首」が含まれていないのです。よく手指衛生の際に、手首を「キュキュッ」としないと「はい、手首が抜けたァ!」と鬼の首を取ったように指摘する人がいますが、手首のキュキュッにはエビデンスがあるわけではないのです。むしろ、「最後に手首をキュキュッ」とすることによって、せっかくキレイにした指先が手首の微生物によって再汚染するではないか! と思いませんか?
 「私はどうしても手首までやるんです!」という人には、「では手首とは指先から何cmから何cmまでの範囲のことを言うんですか」とか、「過去に手首の汚染が原因となったアウトブレイクの報告を最低3つ挙げなさい」とか問い詰めたい気持を押さえつつ、「どうぞやってください」とお返事していますが、せめて順番は最後にするのはやめたほうがよいのと、手首をキレイにするために、ご使用になるアルコールは気持多めに使用されることをお勧めします。

 さて、すでに理系ワールドの虜になってしまった読者も多いかと思いますが、この調子で次は「手指衛生いつ when やるか?」について解説をします。ご期待ください。


【References】

  1. よしたに.理系の人々,中経出版,2008.
  2. WHO Guidelines on Hand Hygiene in Health Care. 2009. http://whqlibdoc.who.int/publications/2009/9789241597906_eng.pdf

 

 本稿の着想と作成は、新潟県立六日町病院麻酔科市川高夫医師との長時間にわたるディスカッションが契機となっています。ここに感謝申し上げます。

 

(了)


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発行:シーニュ