No. 712019. 06. 03
成人 > レビュー

感染症危機管理とIDES(アイデス)

  • 国立成育医療研究センター 生体防御系内科部感染症科
  • 船木孝則

    Kansen Journal、通称KJをご愛読の皆さん、こんにちは。感染症危機管理と聞いて、皆さんはどういうことを想像されるだろうか。具体的なイメージがわきにくいと思われた方もいるのではないだろうか。そうした方たちが、本稿を通してより具体的なイメージを持ち、感染症危機管理を身近に感じていただければ幸いである。

    感染症危機管理とは?

    あらためて、感染症危機管理事案と言えば、どのようなことを思い浮かべるだろうか。そもそも危機管理とは、内閣法第15条第2項に「国民の生命、身体又は財産に重大な被害が生じ、又は生じるおそれがある緊急の事態への対処及び当該事態の発生の防止をいう。」と定義されている[1]。 厚生労働省では健康危機管理基本指針が定められ、これに基づき感染症対策に係る危機管理の具体的な対処要領として、感染症健康危機管理実施要領が定められている[2]。

    表1に感染症の危機管理事案の具体例を示すが、これらは一例に過ぎない。医療者として一度も見たこともない疾患から、世界的に見るとコモンであるが日本ではまれな疾患まで実に幅広く存在すると考えてよい。さらに、地球温暖化や航空機による長距離の短時間移動が可能になったことによるヒトおよび動物の生活環境の変化や、世界規模での大規模イベントの開催などにより、感染症はいつでも瞬時に世界中に流行しうる状況となっている[3]。

    皆さんもご存じかと思うが、人類の生命を脅かす新しい感染症、すなわち新興感染症(emerging infectious diseases)という概念が1996年に世界保健機関(World Health Organization; WHO)から提唱された。それと同時に、いったん制圧されたと思われていたが再び増加し、問題になっている結核などの感染症、すなわち再興感染症(re-emerging infectious diseases)についても、国レベルだけでなく、国際的視点に立って対処しなければならないと警告されている[4]。1960年代後半に当時のU.S. Surgeon General(米国公衆衛生総監)が“It is time to close the book on infectious diseases, and declare the war against pestilence won. ”と述べていたと言われているが、現状に照らして誤った発言であり、それから約50年たった今もまだ感染症と人類の闘いは続いていると言える[5]。

    表1 感染症危機管理事案の例
    ・西アフリカにおけるエボラウイルス病の流行
    ・コンゴ民主共和国におけるエボラウイルス病の流行
    ・中東および韓国での中東呼吸器症候群(MERS)の流行
    ・デング熱の国内発生
    ・中国における鳥インフルエンザ(H7N9)
    ・麻疹排除後の麻疹アウトブレイク
    ・ジカウイルス感染症の流行と日本への輸入
    ・風疹の流行と先天性風疹症候群の発生
    ・大規模災害後の感染症流行
    ・薬剤耐性(antimicrobial resistance; AMR)
    ・マスギャザリング*イベントにおけるバイオテロや感染症の発生と流行拡大

    *「マスギャザリング」は、日本集団災害医学会によると、一定期間の中で、限定された地域において、同一目的で集合した多人数の集団と定義されている。多人数の定義は、少なくとも1000人とするものから2万5000人以上とするものまで様々である[6, 7]。

    それでは、こうした感染症危機管理事案において感染症専門家に求められる役割とはどのようなものだろうか。過去の文献では、以下のような役割が述べられている[8]。

    • 新たな流行が起こっているという事実を認識する。
    • 原因究明を目的として、適切な検体採取のために臨床微生物家と協力する(BSL3、BSL4施設のような特定の研究機関へのアクセス)。
    • 感染伝播を防ぐため患者を隔離し、感染対策を講じることを決定する。
    • 感染拡大を抑え、流行を最小限にとどめるために取るべき対策について公衆衛生当局に助言する。
    • メディアや一般の方とのコミュニケーションについて公衆衛生当局を支援する。

    これらがすべてではないが、こうした感染症専門家の役割に鑑みると、アウトブレイクに適切に対応するためには、医療従事者と公衆衛生機関担当者でのネットワークの構築と連携が必須になってくることが分かると思う。日常診療から見ても、感染症分野は麻疹や風疹などのワクチンで予防可能な疾患(vaccine preventable diseases; VPD)の発生時の対応や予防接種、感染症発生動向(薬剤耐性菌対策やインフルエンザ流行マップ)など公衆衛生との関わりが比較的多いことは、医療従事者自身が体感しているであろう。

    実際に有事の際には、国内では地域レベルから国レベルまでの行政官、感染症診療および感染対策の専門家を中心とした医療従事者や研究者などが緊密に連携して対応に当たることが必須である。さらに世界レベルのリスクに対しては、疾病の国際的な伝播を最大限防ぐために、国際保健規則(International Health Regulations; IHR)に基づいて、国際機関や他国政府機関との迅速な連携が必要である。そのためには、平時から関連各所と関係性を構築しておくことが重要であることは言うまでもない[9]。

    IDES(アイデス)について

    政府は、表1にも示した西アフリカにおけるエボラウイルス病の発生と感染拡大を受け、表2に示す5つを教訓として、国際的に脅威となる感染症対策の強化に関する基本方針を取りまとめた[10]。この中では、国際的な対応と国内対策を一体として進めていくことに重点が置かれた。すなわち、国際協力や海外の情報収集などの強化、国内において危険性の高い病原体などを検査・研究する体制整備、国内の感染症対策と在外邦人の安全対策の強化などを一体的に推進し、こうした対応を進める上で、国際社会において活躍する日本の人的基盤の整備が重要であると考えられた。

    表2 5つの教訓
    1.発生早期の段階からの流行国における感染封じ込めとガバナンスの重要性
    2.流行国の脆弱な保健システムの強化を促す国際協力の必要性
    3.国内における感染症防止策の継続的強化の必要性
    4.国内における検査・研究体制の整備の必要性
    5.国際協力も含めた感染症対策を担う人材育成の強化の必要性
    (文献10より引用)

    この人的基盤整備の一環として厚生労働省が2015年度より開設した、国際的に脅威となる感染症危機管理対応で中心的役割を担う人材を育成するためのプログラムをInfectious Disease Emergency Specialist (IDES) Training Program(感染症危機管理専門家養成プログラム)という。そこで育成された専門家をIDES(感染症危機管理専門家)と呼んでいる[11]。

    昨今のエボラウイルス病や新型インフルエンザ、中東呼吸器症候群(MERS)など、国際的に脅威となる感染症に対する危機管理には、感染症領域の医学知識に加えて、行政マネジメントや国際的な調整に係る総合的な知識と能力が求められている。日本には、こうした事案に対処できる人材が非常に不足しており、国を挙げてその専門家を養成するプログラムを立ち上げたという点で、画期的ではないかと思う[10, 12]。しかし、その認知度はいまだに十分ではなく、感染症に関心がある、あるいは実際に従事している医師のキャリアパスとして非常に魅力的なものでもあるので、この場を借りてぜひ紹介したい。

    感染症危機管理専門家(IDES)養成プログラムの実際 [11]

    IDES養成プログラムは、前述のように2015年度より開始された、おおむね2年間のプログラムである。2019年度で5期目に突入する。2019年4月現在、修了生は13名おり、厚生労働省に感染症危機管理専門家として登録されている。

    先述したような世界規模のリスクをマネジメントできるリーダーには、単に特定の領域の専門性だけではなく、世界的視点での判断能力やコミュニケーション能力、そして経験に裏付けされた実行力が求められる。そうした幅広い経験と知識を有する専門家を養成するべく本プログラムが設立された。

    2年間の研修期間の1年目は、主に厚生労働省を含む国内の関係機関で実地疫学、感染症診療・感染対策、感染症危機管理に関する行政マネジメント、水際対策を学ぶ。2年目には、外国政府機関や国際機関において、感染症危機管理に関する業務に従事する。また現在では、個人の希望次第ではあるが、海外研修修了後1年を超えない範囲内で、厚生労働省等で勤務を継続することも可能である。私自身も海外での研修修了後、国際機関での経験を還元すべく、厚生労働本省でのプロジェクトに携わったり、検疫業務に従事したりした。1年目の国内での研修とはまた違った、より広い視点から物事を見る機会に恵まれたという点で非常に良い経験となった。IDES養成プログラムの詳細は、図1および厚生労働省のウェブサイトを参考にされたい。

    図1 IDES養成プログラムの標準カリキュラム
    FETP: Field Epidemiology Training Program、HHS: U.S. Department of Health and Human Services、CDC: U.S. Centers for Disease Control and Prevention、WHO: World Health Organization、PHE: Public Health England、INMI: Istituto Nazionale per le Malattie Infettive IRCCS “Lazzaro Spallanzani”

    また、2018年7月には、WHOとの協力の下、ジフテリアの流行が続くバングラデシュにIDES養成プログラムから初めて人材が派遣された。今後もこのように途上国をはじめとした諸外国に対して、蓄積した経験・知識・技術を活かして公衆衛生上の支援を行っていくことが重要であろう。

    こうした取り組みを続けていくためには、IDES養成プログラム修了後にも、継続的な訓練の機会を確保するとともに、プログラムのさらなる充実が必要である。また、プログラム修了後、IDESは感染症危機事案発生時に、原則的に派遣等の要請への協力が求められるが、実際には各々の所属先との調整や契約等が必要になり、解決すべき課題があると考える。

    日本の現状とこれからの感染症危機管理

    観光立国を謳う日本への外国人旅行者数は増加傾向であり[13]、2018年の訪日外国人旅行者数は史上初めて3000万人を超えたと発表された[14]。2019年にはラグビーワールドカップ、2020年には東京オリンピック・パラリンピック競技大会、2025年には大阪万博が開催される。こうしたマスギャザリングイベントに対しても危機管理という観点での備えと有事の際の対応について、過去の貴重な経験をもとに体制を構築しておくことが必要である。それとともに、いざという時に適切に指揮命令系統が機能し、現場が動けるように定期的に訓練を行うことも必要であろう。

    さらに、インバウンドの増加は何も外国人旅行者の増加だけを意味するのではない。2018年12月8日に、第197回臨時国会において、「出入国管理及び難民認定法及び法務省設置法の一部を改正する法律」が成立したことに伴い[15]、様々な在留資格を持った外国人労働者が増加することとなり、日本の医療を取り巻く環境も大きく変わりつつある。多言語対応だけでなく、日本国内においてこれまで大半の医療者が経験したことのないような疾患や病原体がいつ、どこで流入してくるかも計り知れない。

    私は10年程度の臨床経験を経てIDES養成プログラムで採用され、様々な経験をさせていただいたが、最も貴重であったのは、厚生労働省の医系技官をはじめとした行政官、地方自治体や研究機関の方の目線や実際の業務を知ることができ、さらに日本だけでなく世界の感染症対策において第一線で活躍される有識者に多くを学べたことである。臨床の現場だけではなかなか自覚しにくいことを実体験できたことは、今後私自身の使命を果たしていく上で非常に重要なものであった。今後のキャリアをお考えの方には、ぜひ選択肢の一つにIDESを入れていただきたい。

    おわりに

    明日、あなたの目の前に突然、感染症の危機事案が現れるかもしれない。国や自治体だけでなく、医療機関、研究機関等がそれぞれの役割を十分に認識し、日頃からのネットワーク形成を通じ、関係者でコミュニケーションを取り続けることで、「ネット(網)」をより密なものとしていくことが何より重要と考える。医療を取り巻く環境が大きく変わる中で、感染症の危機事案に対しても、まさにオールジャパンで取り組んでいけることを切に願う。

    【References】
    1)内閣官房: 内閣法.
    http://www.cas.go.jp/jp/hourei/houritu/naikaku_h.html
    2)厚生労働省:感染症健康危機管理実施要領.
    https://www.mhlw.go.jp/general/seido/
    kousei/kenkou/kansen/index.html

    3)The Lancet Infectious Diseases: Infectious disease emergencies: taking the long-term view. Lancet Infect Dis. 2016 Dec; 16(12): 1305.
    4)World Health Organization, Regional Office for South-East Asia (1996): New, Emerging and Re-Emerging Infectious Diseases: Prevention and Control. New Delhi: WHO Regional Office for South-East Asia.
    https://apps.who.int/iris/handle/10665/127542
    5)Spellberg B: Dr. William H. Stewart: mistaken or maligned? Clin Infect Dis. 2008 Jul 15; 47(2): 294.
    6)国際的なマスギャザリング(集団形成)における疾病対策に関する研究.
    https://plaza.umin.ac.jp/massgathering/index.html
    7)World Health Organization(WHO): Public Health for Mass Gatherings: Key Considerations(2015).
    https://www.who.int/ihr/publications/
    WHO_HSE_GCR_2015.5/en/

    8)Norrby SR: Infectious disease emergencies: role of the infectious disease specialist. Clin Microbiol Infect. 2005 Apr; 11 Suppl 1: 9-11.
    9)World Health Organization(WHO): International Health Regulations(2005), Third edition.
    https://www.who.int/ihr/publications/9789241580496/en/
    10)国際的に脅威となる感染症対策関係閣僚会議: 国際的に脅威となる感染症対策の強化に関する基本方針(平成28年2月9日改定).
    https://www.kantei.go.jp/jp/singi/
    kokusai_kansen/pdf/kihonhoushin_hontai.pdf

    11)厚生労働省: 感染症危機管理専門家養成プログラム採用案内.
    https://www.mhlw.go.jp/kouseiroudoushou/
    saiyou/kikikanri/index.html

    12)国際的に脅威となる感染症対策関係閣僚会議: 国際的に脅威となる感染症対策の強化に関する基本計画(平成28年2月9日).
    https://www.kantei.go.jp/jp/singi/
    kokusai_kansen/pdf/kihonkeikaku_hontai.pdf

    13)日本政府観光局(JNTO): 月別・年別統計データ(訪日外国人・出国日本人).
    https://www.jnto.go.jp/jpn/statistics/visitor_trends/
    14)日本政府観光局(JNTO): 報道発表資料.
    https://www.jnto.go.jp/jpn/news/press_releases/pdf/181219.pdf
    15)入国管理局: 入管法及び法務省設置法改正について.
    http://www.immi-moj.go.jp/hourei/h30_kaisei.html

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